株式市場には、長い歴史があります。
数多の研究者が群がり、数えきれぬデータを精査してきました。
アナリストたちは、経験則と合理性によって、株価の理想値を導き出します。
予想株価──。それは、彼らにとって実用的な道具であり、また信用の根拠でもあるのです。
では、為替はどうか。
FXと呼ばれるこの分野には、資産としての実体が存在しません。
為替とは、通貨の組み合わせに過ぎず、評価基準を持ちません。
そのため、学術的な研究は、株式と比べてほとんどなされていない。いや、正確には、まったくされていないののです。
外国為替における、数少ない“理屈”──。
たとえば、
「インフレ通貨は、デフレ通貨に対して価値を下げる」
この命題は、TRY/USDが示すように、多くの局面で成立します。
だが現実は、それほど単純なものではありません。上昇する局面もあれば、反転もある。
合理など、局面によって裏切られるのが常です。
長期では上昇、短期では下降──
1時間足を割れば、もはや“ノイズ”とも呼ばれる不確かな領域。
それでも市場は、整合性を欲しがります。
分析を求め、理由を探し、納得の言葉にすがろうとします。
「チャートを見れば、先がわかる」
そう語る者もいます。だがそれは、
曇った空を見上げ、「もうすぐ雨が降る」と呟く老人の予言と同じことです。
当たれば名人、外れれば黙る。
だましだの、想定外だのと、都合のいい言い逃れだけが残る。
そうして市場では、「語る者」がもてはやされ、「沈黙する者」が見過ごされていきます。
なぜ、人は“わかる”という幻想にすがるのか。
それは──未来が怖いからにほかなりません。
不確かなものに、わずかな確信を求めてしまう。だが──FXには、いまだ正当な根拠はありません。
研究もなく、理論も整備されていない。
そのくせ、誰かが何かを“語ろう”とします。
それはまるで、幻覚キノコでもかじった者が、
チャートの先に“何か”を見てしまったようなものでしょう。
私たちが能くする「CAP(Chart Action Protocol)」は、そうした幻覚からは、遠く離れた場所に位置しています。
CAPは予想をしません。相場の先出しとやらもしません。する必要がないからです。いま目の前に起きている動きに、過不足なく対応できる。その技術と知識こそが、CAPの根幹です。
ところで「先出し」だの「億り人」だのという言葉、嫌な言葉ですな……
